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Web 2.0 アプリの階層構造 by Tim O'reilly
- Date
- 2006-08-29 (Tue)
- Category
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後半部分を終えて、全体少し手を入れました。
Levels of the Game: Web 2.0 アプリの階層構造
著者: Tim O'reilly
翻訳: Takashi Mizohata
Jim Fallow の、“Web 2.0 アプリだけを使う2週間”という Technology Review の記事を読んでいると、『なんて奇妙なことするんだ!そりゃまるで、車の居住性を確かめるのに、自分のベッドではなく車のバックシートで、2週間快眠実験をするみたいなもんだ』と思った。Fallow は鋭いし、おもしろい指摘(それについては後述)もいくつかあるけれど、彼のしたことは普通の人々にとって Web 2.0 だけで頭をいっぱいにすることが、どれだけ大変かを明らかにしたんだ。『Web 2.0 の最も重要な前進は、Ajax がこれほど広範に採用採用されたということのようだが』と彼は云うが、なんていうかな、それはよくある間違いだよ。
Ajax を使っただけ、かつ Web 上にあるっていうだけでは、Web 2.0 アプリはできない。(Fallow は Dodgeball を最初に挙げている。アプリの検証をする時に “What is Web 2.0?[訳注: 日本語訳はWeb 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル(前編)を参照]”の記事も間違いなく引いているけれど、その他のアプリに彼が言及する時よりもずいぶんといい加減だ。例えば、彼は Writely をテストケースの一つとして挙げて、Web 2.0 アプリのメリットを判断している。Writely のようなオンラインアプリケーションが、Word のようなローカルアプリケーションにどこまで到達しているのか。Writely は面白いけれど、Web 2.0 アプリの王道ってわけではないだろうね。)
こういった業界内の混乱を見て、僕は“Web 2.0度”の階層を思いついた。
Level 3: ネット上 *のみ* に存在できるアプリで、その本質的要素は、ネットワークから引き出されて人々やアプリをつなぐことができる。こういうアプリは、ネットワーク外部性をうまく利用して、より多くの人々をネットワークに動員する。例えば、EBay, craigslist, Wikipedia, del.icio.us, Skype(それにそう、Dodgeball もね)はここに当てはまる。これらのアプリは根本的に人々のオンライン上の活動に依っている。Web それ自体も同じような特徴を持っているし、Google やその他検索エンジンはだからこそ、それを活用しているのだ。(デスクトップ検索には、Web にあるようなページ同士のリンクないので、[Web上の] 検索エンジンが使っている技術は使えないので、それほどうまくいかない。)[検索エンジンの] Web 巡回は、つまり Web 2.0 の根本的営みで、検索行動をベースにした “Adsense for Content” などは、間違いなく“Web 2.0 の心”を持っているよね。このあいだ Google CEO の Eric Schmidt と話した時に、彼は自分の哲学と戦略をまとめてこう云った。『Internet と戦うな』。Web 2.0 アプリの階層構造の中で、最も高みにあるのはネットワークを包み込むようなことで、ネットワーク外部性がいかにして生まれるのかを理解し、自分のすることすべてでそれをうまく利用することができるものだ。
Level 2: オフラインでも存在できるけれど、オンラインにあることで独特の強みをもつようなアプリケーション。Flickr はまさにすばらしい見本だ。ローカルの写真管理ソフト(例えば iPhoto)にはない、オンラインコミュニティを活用することで特筆すべき力を持つ。実際の所、共有された写真データベース、オンラインコミュニティ、それに結果的に生み出されたもの(例えばタグデータベース)は、オフラインの競合者と Flickr とを区別する最たるものだ。そしてより徹底した Internet との付き合い方(例えば、アップロードされた写真のデフォルトが、“Public”な点)がオンラインに存在した先行者との違いになる。
Level 1: オフラインに存在することができ、かつ実際に存在するが、オンラインにすることで何かしらの追加機能がうまれるアプリケーション。Writely はまさにここにある。もし編集をコラボレーションをしたいなら、オンライン機能はすばらしい。が、自分一人で書きたいのなら、例えば Fallow がそうだったように、利はごくわずか(自分の持ってるコンピュータ以外でもつかえるってだけ)だ。
Level 0: 基本的にオンライン根付いているけれど、ローカルキャッシュにすべてのデータがありさえすれば、全くオフラインと変わらない使い心地のアプリケーション。MapQuest, Yahoo! Local それに Google Maps はこのカテゴリーにある(ただ housingmaps.com のような mashup は Level 3 に)。オンライン地図アプリがユーザの投稿を受け付ける付加機能は、そのアプリの階層を Level 2 に引き上げる。
Amazon について言及しなかったことに気がついたかい?それは、僕自身 Amazon が Level 2 なのか 3 なのか決めかねているからだ。Amazon風のオフラインカタログ(例えばお店)はありえそうだけど、Amazon は、オンラインのユーザ活動をより根深く活用して、この分野の限界を超えてる感がある。それに彼らにはアフィリエイトから S3 までの Web service がある。これはもう間違いなくあちら側 だよね。じゃぁやっぱりゲームのルールを変えるための戦略的能力の証しとして Level 3 にしておこう。
iTunes は Level をまたがったもう一つのすごい例だね。初期のマーケットとポジションは、(Level 1 の)デスクトップアプリに追加のオンライン機能だったけれど、iTunes Music Store が iTunes の中心的な存在になり競争力を増すにつれて、iTunes は Level 2 に移行する。最終的には last.fm にあるような機能と連携するようなレベルに達するには、iTunes は Internet という生地にしっかりと編み込まれてしまい、ネットからはなれると不自由な状態になる(つまり Level 3)になるだろう。(今でさえ、新しい CD を入れた時に offline だと、曲名がでてこなくて不満だろう。)まとめると、こういったアプリには Level を押し上げるための強いプレッシャーがかかっていると僕は信じている。人々が使えば使うほど、ネットワーク外部性は機能の運営の中心になるからだ。
と同時に、もちろん全く違う階層も存在する(社会はそんなに単純じゃないからね!)。つまりネット上にすべての機能を見いだすことができるけれど、デスクトップアプリとして存在する Email や IM はどうだろう。そういうときはつつましやかな電話を思い出してみるといい。
Fallow の記事にある非常に良い点として、序盤にある得意げに書かれた一節を僕は気に入っている。『遅かれ早かれ Dodgeball の事実に我々は直面しなくてはならない。ある人生の可能性--製品、冒険、提案、アイデアといった--が、あなたより若い人たちには確かに意味がある、ということをあなたが認識した時、Dodgeball は輝いて見えるだろう。』この洞察は、僕の頭の中に、大好きな Kim Stanley Robinson の火星三部作の一節をリピートする。『歴史は、我々より若干速い時間を動く波である。(原文: History is a wave that moves through time slightly faster than we do.)』(しばらく噛み締めてみてよ!美しくて、簡潔で、非常に洞察深い。もし意味が分かんなかったら、あと数年まってみることだ。)
あとこれも好き。『新しい Web はデジタルではなくアナログである。これは単一の、大きな、不連続のイノベーションの結果ではない、という意味に於いて。むしろ、ある意味進化的なものから劇的に違うものまで、新しいアイデア連続体を体現している。』多くの人々は、Web 2.0 が簡単に定義できるものではない、ということに四苦八苦している。Fallow は潔くそのアイデアを受け入れている。
Long Tail、具体的には、できることがより少なく、すべての人のすべてのことが解決できるようなものになりたくないアプリ、の興味深い帰結として彼はこうも云っている。『Ajax を使ってデスクトップアプリやサービスを置き換えてやろうという野心的なものは、意外にも“Short Tail”なアプローチをしばしば採用する。Short Tail主義の結果は、面白そうで、新しい“Long Tail” 事業部であり、オンラインアプリとデスクトップアプリの中間に存在する;無料のオンラインアプリは、日課的状況にある普通の人向け、有料のデスクトップアプリは、より膨れ上がって、ハイエンドユーザ向けに特化されるかもしれない。そして Dodgeball 原則の原点に戻るならば、それぞれのユーザの状況に応じたいくつかのアプリがあるはずだ、と。』
これもとても洞察に満ちている。『新しい Web はアナログではなくデジタルである。集合知たる Web 2.0 は自ずと整い導かれるはずであり、大きく、はっきりと目立つ、Yes-Or-No のシグナルを発する時にもっともうまく立ち回り、微妙な判断を提示しようと試みる時は最低である、という意味に於いて。』彼は、eBay の thumbs-up/thumbs-down 評価(落札者評価)と、Pandra のニュアンス評価を対比する。ニュアンスをフィードバックすることでユーザの好きそうな音楽を選ぶ、という Pandora のやり方は失敗していると彼は考えているようだ。しかしここには彼のニュアンスの欠如がある。Pandora は Web 2.0 アプリじゃないんだよ!!Pandora はユーザの好きそうな音楽を、探し当てるのにアルゴリズムを使っているし、これはオフラインでも可能なことだ。もし同じ問題への Web 2.0 なアプローチが欲しいなら、彼は last.fm を扱うべきだった。
Fallow の記事で僕が最も洞察深いと思ったのは、Web 2.0 が究極的に信頼に基づいているということ。ユーザ参加の構造を考える時に、とてもいい導入(装飾音)だね。Web 2.0 は究極的には信頼に基づいている。
彼はそのような信頼は壊れやすいと結論づける。そして(この記事を送ってくれた Tech Review の PR の人の言葉を引用すると)『もし信頼が壊れたら、新しい Web 人達の世代全体を、新しいトレンドを追うにはもう年老いたという多感な感傷に陥れる。』spam やフィッシング、罵倒の応酬それに Wikipedia 上の荒らしはともかく、僕は賛成しない。
信頼は常に壊れるもの。だけど、僕は Wallace Stevens の知恵に何度も何度も立ち返る。現実主義者、幻想が壊れても、それでもなお楽観主義に立ち戻る。彼はこう云った。『リアリストの yes は、yes と云わねばならぬから、すべての下に、二度と壊れぬ yes があるから。』人間の精神はとてもすばらしい。そして実際僕らは新しい方法で協調するためのツールを作り出すことだってできるし、それは僕らの精神に新しい表現方法を与えてくれるんだ。
訳後感想
今日たまたま YAMDAS を眺めてて、Music Genome Projectというのを知って、それが Pandora の元だった、ということを知りました。もしこの Genome 集めが Web 2.0 風に行われたとしたらどうなったんだろうなぁ、と思いつつ音楽みたいな制約 Media では、専門家の意見が大事なのかなと思いました。でも User Impression Driven な Music Matching System も見てみたいような、予想内の結末になるのか。
[Obsolete]Web 2.0 アプリの階層構造(前半) by Tim O'reilly
- Date
- 2006-07-18 (Tue)
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以下は Levels of the Game: The Hierarchy of Web 2.0 Applications by Tim O'reilly の翻訳ですが、まだ途中です。明日のこり、iTunesに関する言及以降をやります、多分。文中リンクなどもその時にあわせてやりますなり。。
最初は実はスルーしていたこの文章を訳そうと思ったのは、Tim が次の日(つまり今日)の中でも積極的にこの Level という言い方を強調していたからですね。
追記 on Aug 29, 2006 : 後半部分を含めて全体すこし改訂しました。こちらをご覧ください。『Web 2.0 アプリの階層構造 by Tim O'reilly』なお、前の状態は、以下にコメントアウトしてありますので、どうしても見たい方はソースをご確認ください。
あなたの知らない PHP 5つの秘密。
- Date
- 2006-07-16 (Sun)
- Category
- Links | Translation | Trivia | php
以下は、5 Things You Probably Didn't Know About PHP By Gregory Szorcのいい加減訳です。
?> はオプション
<?php
...
?>
たいだい上のように PHP のコードを書くと思うけれど、最後の ?> は実は書かなくてもいい。少なくとも PHP 5.1 では動く。問題点はあるけど、XML なんかの出力には、?> 以降に(意図的でない)空白行が入ると問題を引き起こす(こともある)ので、終了タグを書かない。
他言語を PHP 中に埋め込むことができる
Java, Perl, Python と .NET なんかは PHP から実行できる。Java Inteface はとってもクール。
配列へアクセスする方法で、オブジェクトも扱える
Standard PHP Library (SPL) を使えば、オブジェクトをあたかも配列のように扱える。 例えば ArrayObject を使うと以下のようなことが出来る。
$object = new MyObject();
$object['name'] = 'Hello World';
あるいは
$object = new MyObject();
foreach ($object as $k=>$v) {
echo "$k = $v\n";
}
など。
require() は require_once() より速い
(これは PHP 5.2 までの話だけれど、)require_once でなく require を使った方が、アプリケーションが大きくなればなるほど、相当速くなる。require_once は呼ばれるたびに余分な system call が走って重複がないことを確認するから。「じゃぁどうやって重複がないことを保証するわけ?」「まだ require_once なんか使ってんのがダセーの。__autoload をうまく使え。」もし SPL が入ってるなら、spl_autoload_* を使えば複数の autoload ができる。より詳しい内容は Zend Framework ML のこのスレを読もう。
PHP 5.1.0 未満を使ってる奴はアフォ
PHP 5.0.x ブランチはもうメンテされてない。PHP 4.x ブランチは死んでる。いかに理由を挙げるから、まだ移行してない奴はするように
- たいていの PHP4 で書かれたコードは動く。動かないとか言ってたのは FUD。開発者は互換性確保のためによくやってるから、まだ PHP4 を動かしてる奴は PHP 4 から PHP 5 への移行: 下位互換性のない変更点 を見ながらコードを grep するように。
- PDO 使え! SQL を別ハンドラにかく必要なくなるし、SQL Injection 対策もばっちりになる。
- Standard PHP Library (SPL) は今まで PHP で考えられかったすごいこと。
- いくつかの人気アプリが PHP5 への以降をすませた。例えば MediaWiki 1.7
- PHP5 のオブジェクトモデルは他のオブジェクト指向言語によく似てる。例えば Java とか。PHP5 はアクセス修飾子もあるし、抽象クラス、インターフェイス、それにマジックメソッドもある。
以下感想。
僕は PHP の parse の処理を考えると、閉じタグがいらない理由はなんとなくわかるけど、場合によりけりだと思うなぁ。Class 定義の書いてあるファイルとか、人に見せるコードはちゃんと閉じたい。直接関係ないけれど、始まりは <?php でするのは大賛成です(できれば short-open-tag を php.ini で off にして)。
他言語埋め込みは、僕にはとりあえず必要性がないのでよくわかりません。
SPL の ArrayObject は、Greg 曰く database query result とか LDAP directory queries によく使って便利だとか。ちょうど昨日も書いたけど、SPL は面白そうなので今度触ってみよう。
PDO 使えってのも、いいんだけど、『PDO 使えば SQL Injection 対策になる』ってのは危ないね。ちゃんと使えば、SQL Injection を起こすコードを書きにくくなるってだけだし。
蓋然的(確率的)時代
- Date
- 2005-12-27 (Tue)
- Category
- Translation
かなり急いで訳したので、間違いがあるかもしれません。コメントなどで指摘いただけると嬉しいです。Probabilistic は、此の記事を発見した切掛けの梅田さんにならい、蓋然的 としようかと思いましたが、ちょっと違和感もあるので括弧付きで確率というのも入れました。
原文: The Probabilistic Age by Chris Anderson
翻訳: Takashi Mizohata <mizo AT grf-design DOT com>
蓋然的(確率的)時代
Q:なぜ人々は Wikipedia にそこまで居心地悪く感じるのか?そして Google は?そして、なんていうか、その blog 全体は どう?
A: なぜならそれらのシステムは、蓋然的(確率的)統計という異質なロジックに支えられているから。それはマクロスケールに最適化されているために、ミクロスケールでは完璧さを犠牲にするというものだ。
Q: は?
A: その通り。我々の脳は統計学や確率論として考えるようには出来てはいないのだ。我々は百科事典の記事が正しいかどうかを知りたい。我々は Google の結果に、賢者の導き(理想的には人間であって欲しいが)があるかどうかを知りたい。我々は読んだものを信用したいのだ。
編集者や学者やジャーナリストが専門家が全てを取り仕切っていた時代では、少なくとも彼らが責任のある物事として、我々は彼らの仕事を正確であると思っていた。しかし現在では、誰も責任を持たないシステムにより深く依存するようになっている。知性は詰まるところ切迫した (Emergent) 状況なのだ。先に挙げた蓋然的(確率的)システムは完璧ではない。しかしそれは、時間や巨大な母数により優秀になるよう、統計的に最適化されているのだ。拡大するように設計されていて、大きさに応じて改善される。ミクロに存在する小さないい加減さは、マクロな効率の代償である。
しかし、こんなにも間違っていると思えることが、どうすれば正しくなれるのか?
困難はある。この二律背反さは、人々にとって理解するのが相当難しい。未だに Darwin の進化理論について議論がかわされるのには理由はある。たとえば Jim Suroweicki による Adam Smith の神の見えざる手について書いた本が、偉大なスコットランド人(訳注:Adam Smith のこと。)の死後 200年もの後にまだ、驚きに満ちていて(そして書かれることが必要とされて)いるのにも理由がある。市場経済と生物の進化は蓋然的(確率的)システムで、我々の哺乳類的脳からすると直感に反するのだ。極僅かな優れた人間が、そのシステムに気がつき、その洞察を用いて、近代社会の礎である株式市場からGoogle までを作り上げたという事実は、我々の知的ソフトウェアの進化が我々の(肉体という)ハードウェアより早く進化するという証拠である。
蓋然(確率)に基づくシステムは、Kevin Kelly の云う所の、“手が付けられない”。その名を冠した彼の素晴らしい本では、たくさんの例に注目し、民主主義から鳥の群集まで、混沌の中から秩序が見いだされるところ、エントロピーの矢印とは全く逆のように見える。此の本は12年以上前のものだが、今から10年以上の後も我々は、洞察に満ちた驚きを発見するだろう。これは正しいのだ。
Wikipedia は“権威的”か?多分違う。じゃぁホントの所、何なのだろう?例えば Britannica は非常に高い学位を持った数人の評者によって審理されている。(もしあるならば)まったくのデタラメやデッチ上げは間違いなく Wikipedia より少ないだろう。しかし絶対に正しいということもない。実際の所、我々が信用している以上に Britannica にも不備はあるのだ。
Britannica の最大の間違いは、委任(訳注:評者に対する読者側の価値判断に関してか?)ではなく、省かれることである。Britannica のいくつかの部門では浅く、時代遅れな記述もいくらかある。そして何百万もの事柄について、ただ、載せていない。それはその編集プロセスを鑑みれば明らかに不可能なのだ。しかし Wikipedia にはそれが出来る。それら Britannica が扱わなかったことだけでなくそれ以上含めることができる。今日 Wikipedia は英語版で 860,000 本の記事がある。比べるところ Britannica は 80,000 本、Encarta では 4,500 本である。明日にはさらに隔たりは広がるだろう。
蓋然的(確率的)システムのいい所は集合知の利であり、結果として、その幅広さ/深さの両面に於いて上手に拡大可能なのだ。しかし集合知はミクロスケールで完璧な確実さを犠牲にしていることにより、利用者は全ての記事について懐疑的でなければならない。Wikipedia は、“最初の一歩には相応しいが、最終確認とすべきではない。ここは探索すべき情報の島で、完璧な事実の源ではないのだ”。
此れと同じことが blog にも云える。どれ一つとして権威的なものは無い。以前の記事で私が述べたように、“blog は Long Tail である。そしてその品質や Long Tail の中身を一般化するのは常に間違いである。つまり、定義に於いて、変数は多様なのだ”。しかし集合的に、blog は主流メディアに等しい以上の関係であることがわかった。読者は、ニュースを理解する前に、他の意見も読んでみたいだけなのだ。
全知且つ不可解にも見える Google も同様である。あなたや私が見つけるかもしれないが、見つけないかもしれない関係を、Google は作っている。なぜならその関係は我々の理解の及ばない規模の数値計算から、自然とわき上がってくるのだ。異論のあるところではあるが、異質な知性である巨大な統計を、その DNA に直結させて生まれてきた最初の会社が Google なのだ。だからこれだけ成功している。そしてその成功は留まる所を知らないようにみえる。
Paul Graham がうまいことを云っている。
“Web にはもともとある種の粒度があって、Google はそれを位置合わせしたのだ。だからこそ彼らの成功は何もしていないように見える。印刷業界や、出る杭を打とうと顧客相手に訴訟を起こす Microsoft やレコード会社のように、凪に停泊してビジネスモデルに祈っているのではなく、Google は風に帆走している。Google は彼らのやり方でコトを無理矢理起こそとはしていない。彼らは何が起ころうとしているのかを理解しようとしているのだ。そして、それが起こる時、そこにいるように準備している。”
Web はアイデアを扱う究極の市場だ。そこでは数がものをいう。その Graham の見る粒というのは、統計の力学の編みの目であり、本当に大きいシステムが理解する唯一の論理である。おそらく、我々も理解できる日がくるであろう。
[Update: Clifford Stoll が占めていた技術懐疑論者の座を受け継いだと思われる Nicholas Carr が非常に聡明でよく出来た反応記事があります。]